未生真流について

悠月庵の生花教室は「引き算の美学」をコンセプトに指導していきます。

悠月庵流「引き算の美学」を身につけると、余白から考えるシンプルな「想像力」が養われます。
無駄な思考を回避し、三歩先まで予測する「判断力」が磨かれます。
本当に自分に必要なものがわかる、「決断力」を持つことができます。
悠月庵の生花教室はお花を活けるだけの教室ではなく「癒やしの場」「毎日に張り合いが持てる場」「困った時に思考をリセット出来る場」を創出していきたいと願っています。

 

未生真流とは

未生真流の流祖は、「生々庵春甫(せいせいあんしゅんぽ)」と号し、寛政年間(1798~1800年頃)の但馬国(現兵庫県出石郡)に生まれました。
春甫は幼少より、未生流の開祖である未生斎一甫について、華道を修めてその奥義を極めその後、独自の境地を開拓して一派を初め、その家元となりました。

その後、京都の有栖川宮家から召されてその華務職となり、天保元年(1830年)「未生真流」の名を賜りました。
その当時、門弟は、但馬をはじめ丹波・丹後・播磨・備前・四国・九州・江戸にまで及び、万延元年(1860年)発行の「一帆青」は、著名で、現在もなお、その改訂版の「続一帆青」が使われています。
流祖の生々庵春甫翁が三角形の骨格を「天地人」の三才を様式化し理論化してから175年余りそれを守りながらも、草木の自然美を失うことなく、表現するその様式にはさらなる研究を重ねられ今日に至っています。

二代目 家元「方圓齋生甫(ほうえんさいしょうほ)」
三代目 家元「笑圓齋笑甫(しょうえんさいしょうほ)」
四代目 家元「松風齋昌甫(しょうふうさいしょうほ)」
五代目 家元「松風齋敬甫(しょうふうさいけいほ)」
六代目 家元「未生真齋忠甫(みしょうしんさいちゅうほ)」
現在の皇太子殿下誕生の際に、前衛生け花を出品したり、東京オリンピック開催時に行われたいけばな展にも出品ました。
また、著書「格花の基本」、「親善会館記念誌 上・下」を出版しています。
現在、勉強会などでも使用されている「一帆青」の第二改訂版「続一帆青」も発行しています。

七代目未生真流家元「未生真齋教甫(みしょうしんさいきょうほ)」は、六代目家元の未生真齋忠甫の長男として昭和40年7月13日に生まれました。
幼少より華道を学び昭和44年に、4歳で初代家元「生々庵春甫死去100年際記念誌」に作品を寄せ、その後は12歳で「親善会館記念誌」に作品を発表しています。


 

悠月庵 恵甫プロフィール未生真流「正教授」「総会司師範代」
神戸での花屋歴14年の経験を生かして、実践的なお花の扱いなどを提案したレッスンをしている。悠月庵は家元から拝命した雅号です。

 

いけばなを始めたきっかけと仕事への思い

美しい人は、自分に必要なものを知り、周りにあるものを丁寧に扱い、内面も外面も磨くことを大切にし、余白を楽しめるシンプルな暮らしを送っている。

お花に教わるシンプルライフをお伝えする、悠月庵 恵甫です。

なんてカッコつけても仕方ないので白状しますが、私はいけばなに出会う前は目の前のしなければならないことに必死でいつも疲れていました。
「生活するためだから、無理をするのも仕方がない」
そう自分に言い聞かせ、仕事に追われる毎日を過ごしていました。

そんなある日小さい頃からの夢だった「花屋さん」で働いていた9年前のこと、私の絶対的な味方でいてくれた母が癌になりました。

私の住まいは神戸、生まれ故郷は兵庫県北部にある城下町出石町。
母の看病のため仕事に加えて、月2回の住まいと故郷を数時間かけて行ったり来たりの生活をしていました。

闘病生活が少し落ち着いた頃、母に「気分転換にお花でも習いに行ったら?」と、祖母の代から通っている未生真流のいけばな教室を勧められました。
お花は好きだったけれど、「いけばな」にはさほど興味がなかった私。
でも基礎くらい習ってみようかと、軽い気持ちで門を叩いたのがいけばなとの出逢いです。

まもなく、いけばなの世界の奥深さの虜になります。

 

陰陽のバランス
自然と人
余白の大切さ
生かされているという感覚
丁寧に暮らすということ

 

いけばなの技術を手に覚えていく感じも楽しいものでしたが、床の間や枯山水のように日本が古来から培ってきた、すべての事に意味があり、無駄を省くという引き算の美をいけばなを通して知りました。カルチャーショックでした。

それまでの私は、ずっと夢だったお花屋さんで働けるだけでも幸せだと思い込もうとしたり、たくさんのいろとりどりのお花や、多すぎる「ひと」「もの」「こと」に囲まれ、働きすぎと言われてもがむしゃらに働く事だけが人生だと思っていました。

空間や心に余白がないと、キレイにはなれても美しくはなれないんだ・・・
そんな私の価値観をひっくり返したのが、いけばなの世界のシンプルな美しさでした。

例えば、ハサミは右手側の手ぬぐいの上にのせる。
右利きの私にとっては当たり前のことだけど、この段取りによって余分な動作を省き美しい所作が生まれる。
あれもこれもと人生が複雑になっていて、このシンプルで当たり前のことを見逃していたのかもしれません。

そして私は自分の人生を変える、ひとつの決断をします。

 

「いけばなを伝える人になりたい」

私はこのシンプルな美しさを伝える仕事がしたいと思い、家元に最短で免状を取りたいと真剣にお願いし、月に4回朝から晩まで長時間にわたる異例の稽古をつけて頂きました。
他の師範には、「この免状に行くまでは10年かかるはず」と言われることもありました。それが華道界の「常識」だったのかもしれません。

しかし私は余計なことに捕らわれず、いまできることに集中しました。
「いけばな」が、シンプルに生きることを教えてくれたからです。
いま自分に必要なことを判断することができました。

師範の免状をとり、まだ未熟だから自信のなかった私に家元は
「とりあえず教える事が一番の近道。未経験の人より知識はある。」と背中を押してもらい、いけばな教室をはじめました。
自分の人生は自分で切り開けるんです。

そんないけばな教室自宅教室も早5年、ついに店舗を構えることができました。人生の転機はいつ来るかわかりません。

足し算でがんばって生きることも、いけばなという引き算の美しさを知るきっかけを与えてくれたのも、母の病がきっかけでした。
そして、母が命を懸けて私に教えてくれたことは「人の寿命はわからないから、やれるうちにやりたいことはした方がいい」ということ。
母は余命が5年もないと言われてから、カフェをオープンしたり、葬儀の自己プロデュースをしたり、遺言は昔行かせてやれなかったから死亡保険で留学に行きなさいでした。

周りにどんなに笑われても、非常識だといわれても、全部やってみたら意外と上手く行ったり協力してくれる人も現れる。
自分に必要なことならやってみる。やらずに後悔するなら、やって学んだ方がいい。母はそんなことを教えてくれました。

言葉に出しているかどうかに関わらず、本当は誰しもやりたいことがあると思うのです。
でも、「まだ時期が早い」「自分には才能がない」「時間がない」「向いていない」「わたしには無理」。
なんて言って諦めている人がいるとしたら、それは「なにかが足りないからできない」のではなく、「なにが自分に必要かわからない」からに過ぎない。私はそう思います。

なぜなら30年余り生きてきた私たちは、これまでの人生で充分に足し算をしいろんな経験をしてきました。
だからあとは自分に必要なことを選択していくだけなのです。
足し算をしてきた私たちだからこそわかる、生きる極意をいけばなは教えてくれます。

限りなく少ない花で空間を生けること
少ないからこそ広がる構成
心を落ち着かせる時間
文化を作ってきた日本人の想いと誇り
計算された控えめだけど凛とした日本らしい美しさ

そんな「引き算の美」を教えてくれます。

余白から考えるシンプルな「想像力」が養われます。
無駄な思考を回避し、三歩先まで予測する「判断力」が磨かれます。
本当に自分に必要なものがわかる「決断力」を持つことができます。

急にできるようにわけではないけれど、いけばなを通して自然に習慣になっていきます。

私もいらないこともたくさんし、無駄なものもたくさん買い、使わないのにいろんなものをストックしてきた過去があるのでわかります。

いけばなのシンプルライフという教えは、自分の人生を他人に預けず、自分で舵を取るのに役立つものばかりです。
生き方が変わります。

一、生ける姿も花
一、心も花

生ける花はもちろん、周りにあるものを丁寧に扱って“内面も外面も美しく”、人生を主体的に自分らしく生きるために、心も住まいもシンプルにすることで、私たちの可能性は無限大に広がる。そんな想いでいけばな教室をしています。

いけばな教室が、私たちの癒しの場、毎日に張り合いが出る場、ちょっと困った時に軌道修正出来る場でありますようにと祈りをこめて、教える立場でありながら、お花には日々学ぶことばかり。

お花から教わるシンプルライフ、一緒に感じていきませんか?